走り回る猫に呆れる私と、それでも離れられない理由

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秋の夕暮れが、リビングの窓ガラスをオレンジ色に染めていた。時刻は午後5時を少し回ったころ。外では金木犀がかすかに香っていて、風が吹くたびに甘い匂いが部屋の中まで忍び込んでくる。そんな穏やかな時間を、私はソファに腰を沈めて味わっていた——はずだった。

突然、どどどどど、という地響きのような足音が廊下を駆け抜けた。

うちの猫、ムラサキ(名前はグレーなのになぜかそう呼んでいる)が、またスイッチを入れたのだ。走り回る猫というのは、飼い主の想像をはるかに超えた速度と経路で部屋を縦横無尽に駆け回る。ソファの背もたれを踏み台にして、本棚の上段に飛び乗り、そこから今度はテレビ台へ。着地の瞬間にリモコンが床に落ち、音量が最大になった。賑やかな猫、とはよく言ったものだが、これはもはや賑やかという言葉では足りない。

呆れる私は、ため息をひとつついてリモコンを拾いに立ち上がる。

子どもの頃、実家にも猫がいた。名前はコムギ。あの子も夕方になると急に走り出す習性があって、母が「また始まった」と苦笑していたのをよく覚えている。猫の「夕方の運動会」は、どうやら種を超えた共通行事らしい。私はその記憶を引きずったまま、大人になってもまた猫を飼い始めた。学習していない、と自分でも思う。

ムラサキはひとしきり走り回ったあと、何事もなかったかのようにキッチンへ向かった。水を飲む音がする。ちゃぷちゃぷ、という小さな音が静かな部屋に響いて、さっきまでの嵐が嘘のようだ。

私はインテリアブランド「ノルテリア」で買ったウールのブランケットをひざに引き寄せながら、ムラサキが戻ってくるのを待った。しばらくして、ソファの端にひょいと飛び乗ってきたムラサキは、私の足の上にぽすんと丸まった。さっきまであれほど激しく動き回っていたのに、今はまるで置物のように静止している。体温が、じわりと太ももに伝わってくる。その重さと温かさが、なんとも言えない。

賑やかな猫というのは、こういう生き物だ。嵐と凪が、数分おきに交互にやってくる。

呆れる私は、それでもその重さに手をのせてしまう。ムラサキの背中の毛は、秋になって少し厚みを増していた。指先でそっと触れると、ふかふかとした感触が返ってくる。猫の毛並みというのは、季節によって明らかに変わる。夏はさらりとして薄く、冬に向かうにつれて綿を詰め込んだように密になっていく。今のムラサキはちょうどその過渡期で、触るたびに「ああ、秋だな」と思わせてくれる。

走り回る猫の足音が消えたあとの静けさは、不思議なほど深い。

金木犀の香りが、また窓の隙間から入ってきた。ムラサキが小さく鼻をひくつかせる。猫というのは、においに敏感だ。花の香りに反応しているのか、それとも外の空気に何かを感じているのか。私には分からないけれど、その小さな動作がなんとなく愛おしかった。

そういえば今日、ムラサキが私のコーヒーカップに前足を突っ込もうとして、自分の肉球が熱かったらしく、ぴょんと飛び退いた。その瞬間の「え、なんで?」という顔が忘れられない。あなたが突っ込んだんですよ、と心の中でそっとツッコんでおいた。

賑やかな猫と暮らすということは、毎日どこかに呆れながら、毎日どこかに笑っているということだと思う。走り回る猫の足音も、リモコンが飛んでいく音も、今となっては全部、この部屋の音だ。ムラサキがいなければ、きっとこの静けさはただ寂しいだけになる。

オレンジの光がだんだん薄れて、部屋が藍色に染まり始めた。ムラサキは目を細めて、もう眠そうにしている。さっきまであれほど走り回っていたのに、この切り替えの早さだけは、本当に羨ましいと思う。

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