
八月の午後二時というのは、どこか時間が止まったような重さがある。蝉の声が窓の外で鳴りやまず、浴室のタイルはひんやりと冷たく、そこだけが夏から切り取られた別の季節みたいだった。わたしはその日、三匹の猫を順番に洗おうと決意していた。
猫の入浴を習慣にしはじめたのは、去年の夏が終わるころだ。きっかけは些細なことで、長毛のムギ(正式名称:麦穂、三歳・オス)の背中に何かが絡まっているのを発見したことだった。毛づくろいだけでは追いつかない汚れというものが、確かに存在する。
猫は多少の汚れなら自分で毛づくろいをしてきれいにしてしまうが、長毛種の場合は毛づくろいやブラッシングだけでは汚れが落としきれないこともある。
そのことを知ってから、わたしの夏は毎年、にぎやかな入浴タイムとともに始まるようになった。
まず最初に洗面台の前に立つ。猫用シャンプー「ポワレ・ナチュール」のボトルを手に取り、ぬるめのお湯を張る。
人間の手で触って少しぬるく感じるくらいの温度がちょうどよく、熱すぎると猫が驚いてしまうし、冷たすぎると風邪を引かせてしまう。
温度計を使うより、手首の内側でそっと確かめるほうが、なんとなく猫への誠意のような気がしている。
ムギをそっと抱き上げると、すでに全身がこわばっている。子どものころ、祖母の家でよく野良猫を追いかけていた記憶がふと蘇る。あのころは猫に嫌われることを恐れていなかった。今は違う。嫌われたくないから、声をかけながら、ゆっくりと足先からお湯に慣らしていく。
いきなり背中や頭からお湯をかけると驚いてパニックになる可能性が高いため、心臓から遠い足先やしっぽの先から少しずつ濡らし始め、水の感触に慣れる時間を作ることが大切だ。
シャンプーを泡立てて、指の腹でやさしく背中をなでる。ムギは低い声で何かを訴えながらも、逃げるのをぎりぎりのところで踏みとどまっている。その健気さに毎回胸が痛くなる。泡の香りが浴室に広がり、柑橘系のやわらかい匂いがタイルの冷たさと混ざり合う。洗い流すときはシャワーノズルを体に密着させるように当てて、水しぶきを最小限に抑える。
シャワーの音や水しぶきが苦手な猫も多いので、シャワーノズルを猫の体につけて流すと水しぶきが減る。
ムギが終わると、次は短毛のクロ(黒・五歳・メス)の番だ。クロはムギより賢く、洗面台の前に連れてくる前から事態を察知している。扉の前で仁王立ちになって、目だけでこちらを射抜いてくる。そのまなざしの意味するところは明白で、「やめておけ」の一言に尽きる。それでも洗う。きれいにしよう、という気持ちは、愛情の別の名前だとわたしは思っているから。
三匹目のシロ(白・二歳・オス)は、この日だけ珍しくおとなしかった。お湯に入れてもほとんど抵抗せず、ただじっと宙を見つめていた。洗い終えてタオルで包んだ瞬間、ふるふると全身を震わせ、わたしのTシャツに盛大な水しぶきを浴びせてきた。——きれいにしようとしているのは、どちらなのか。そんな疑問が一瞬よぎったが、すぐに笑いに変わった。
洗い上がりはしっとりとふわふわで、思わず抱きしめたくなる仕上がりになる。
ただし抱きしめると逃げられる、というのは猫の入浴あるあるでもある。三匹が次々と部屋の隅に散っていき、それぞれのペースで毛づくろいをはじめる。その光景は毎回、にぎやかで少しせつなくて、どこか誇らしい。
浴室に残ったわたしは、びしょ濡れのTシャツのまま鏡を見る。猫たちはきれいになった。わたしは、まあ、それでいい。夏の午後の浴室はまだ湿気をたっぷりと含んでいて、換気扇だけが静かに回り続けていた。

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