賑やかな猫に呆れる私――走り回る猫と、ただ呆然と過ごす夏の夜

Uncategorized

ALT

八月の夜は、思いのほか長い。

窓の外から虫の声がかすかに届いて、室内はエアコンの低い唸りと、かすかなラベンダーのアロマが混ざり合っている。「ネスタリア」というブランドのディフューザーを先月買った。落ち着いた空間をつくりたかった。そのはずだった。

ソファに腰を下ろして、冷たいほうじ茶のグラスを両手で包んでいると、突然、廊下の奥からどたどたという足音が響いてきた。

うちの猫、ムギが走っている。

別に珍しいことではない。ムギは生後二年半になる茶白のオスで、夜になると理由もなく走り回る猫だ。リビングから廊下、廊下からキッチン、キッチンからまたリビングへ。まるで地図のない旅をしているみたいに、ひたすら走り回る。足音は軽いのに、なぜかやたらと存在感がある。

私はグラスを持ったまま、ただ呆然とその軌跡を目で追っていた。

賑やかな猫というのは、こういうものだ。何かを求めているわけでもなく、何かから逃げているわけでもない。ただ走る。その圧倒的な無目的さに、私はいつも少し打ちのめされる。

子どもの頃、実家にも猫がいた。あの頃の猫は、もっと静かだったと思う。縁側でうとうとしていて、夕方になると台所の方へゆっくり歩いていくだけだった。ムギとは正反対の性格で、名前はシロ。触ると少し湿った毛の感触があって、日なたの匂いがした。あの感触を、今でも時々思い出す。

ムギがまた走り抜けた。今度はソファの背もたれをかすめるように跳び越えて、私の膝の上に着地した。爪が少しだけ太ももに刺さって、思わず声が出た。ムギはそれを気にする様子もなく、私の顔をじっと見た。どこか誇らしそうな顔だった。

呆れる私を、ムギは全く意に介さない。

それどころか、ごろんと横になって、前脚を私の腹にのせてくる。さっきまであんなに走り回っていたのに、もう眠そうだ。目がとろんとして、耳だけが小さく動いている。この切り替えの速さには、毎回感心するというか、正直少し悔しい。私なんて、眠れない夜が週に二回はある。

ほうじ茶はもうぬるくなっていた。

窓の外では虫の声が続いている。エアコンが静かに空気を回している。ラベンダーの香りは、いつの間にかムギの毛の匂いに混じって、少し甘くなっていた。

思えば、賑やかな猫と暮らすようになってから、部屋の「静けさ」の質が変わった気がする。以前は静かな部屋が好きだった。物音のない夜に、本を読んだり音楽を聴いたりするのが好きだった。でも今は、ムギがいる静けさの方が、なぜか深く感じる。走り回って、跳んで、着地して、眠る。その一連の騒ぎが終わったあとの静けさは、不思議と心地よい。

ムギの呼吸が、ゆっくりと規則正しくなってきた。

私は手を伸ばして、その背中をそっと撫でた。温かかった。毛はやわらかくて、指の間にするりと入ってくる。こういう瞬間だけは、賑やかな猫であることも、走り回る猫であることも、全部許せてしまう。

呆れる私が、いつの間にか微笑んでいる。

八月の夜は、やっぱり長い。でも今夜は、それでいい気がした。ムギが膝の上で眠っている限り、私はここから動けない。動く気もない。冷めたほうじ茶を一口飲んで、私もゆっくりと目を閉じた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました