
夏の夕方、窓の外でひぐらしが鳴きはじめる少し前の時間帯が、私にとっていちばん好きな読書の時間だ。麦わら色の光がフローリングに斜めに差し込んで、部屋全体がほんのりと琥珀色に染まる。冷房の風がカーテンをそっと揺らし、ページをめくるたびに紙の乾いた香りがふわっと鼻先をかすめる。
その日も私は、ソファに深く沈んで本を開いていた。読んでいたのは、ずっと積んでいた小説——「ヴェルデ書房」という架空の街の古書店を舞台にした、少し不思議な物語だ。ようやく佳境に差しかかったところで、ふと足元に重みを感じた。
ムギだった。
我が家のキジトラ、生後三年のムギが、いつの間にかソファに乗り上げて、私の膝の上に前足を置いていた。まだ本を読んでいるのに、とページから目を離さずにいると、今度は顎を本の端に乗せてきた。文字通り、本の上に顎を置いて、じっとこちらを見上げている。
猫は読書やパソコンといった作業の意味を知らない。飼い主がヒマそうにぼーっとしているように見えるのだという。
なるほど、ムギの目線からすれば、私はただ薄い紙の束をぼんやり眺めているだけの人間に映っているのかもしれない。「ねえ、そんなものより私を見て」——そう言いたげな金色の瞳が、私の顔をまっすぐ捉えていた。
読んでいる本の上に無理やり視界に入ってくる猫がいる、というのはよく聞く話だ。
わかってはいるのだ。でも、実際に自分の大事な読書時間をこんなふうに横取りされると、怒るより先に笑いがこみあげてくる。
そういえば子どもの頃、実家で飼っていた白猫のシロが、母の新聞の上に堂々と寝転んで、母が困り果てていた光景を思い出す。母はそれでも怒らず、シロの背中を撫でながら「もう、しょうがないねえ」と笑っていた。あのとき私は、猫と人間のあいだにある、言葉のいらないやりとりの温かさを、なんとなく感じていた気がする。
ムギはさらに攻勢をかけてくる。今度は本ごと私の腕に頭をこすりつけ、ゴロゴロという振動が手のひらに伝わってきた。
猫がスリスリと寄ってくるのは、撫でてほしい、かまってほしいというアピールだ。
その小さな頭の丸さ、耳の付け根のやわらかさ、夏の室温に温められた毛並みの熱——全部が全部、私の集中力を静かに溶かしていく。
本を閉じた。
栞を挟もうとしたとき、ちょうど栞がソファの隙間に落ちてしまい、ムギがそれをじっと目で追った。そして一瞬だけ「取ってあげようか」とでも言いたげな顔をしたのち、興味を失ったように欠伸をした。……助けてくれるつもりはないらしい。
日頃から飼い主の行動を観察している猫は、どのタイミングならかまってもらえるかをよくわかっている。
ムギもきっと、私が本を開くたびに「あ、今だ」と思っているのだろう。邪魔をする猫というのは、実はとても賢い生きものなのかもしれない。
読書する私にとって、ムギの乱入は小さな敗北だ。でも同時に、それ以上の何かでもある。ページの続きが気になりながらも、ムギの喉の振動を感じながら夕暮れの光の中でぼんやりしているこの時間は、どんな物語の結末よりも、少しだけ豊かな気がしてしまう。
愛おしい猫というのは、あなたの予定を全部ひっくり返して、それでも許されてしまう存在のことを言うのだと、私はムギに教わった。邪魔をする猫がいる暮らしは、思ったよりずっと、悪くない。

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