猫と私のまったり食事時間――梅雨の夕暮れに流れる、静かで濃密な日々

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梅雨のまっただ中、午後五時をまわったばかりの台所に、やわらかいオレンジ色の光が差し込んでいた。窓の外では雨が小降りになりかけていて、濡れたアスファルトのにおいが網戸の隙間からかすかに漂ってくる。湿気を帯びた空気の中に、炊きたてのご飯の香りが混じって、なんとも言えない落ち着きが部屋全体に満ちていた。

そのとき、足元に重みを感じた。

うちの猫、ムギ――正式にはムギコというのだが、誰も最後まで呼んだことがない――が、私のスリッパの上にちょこんと前足を乗せて、じっとこちらを見上げていた。食事の気配を察知する能力においては、この生き物に勝てるものはいないと思っている。炊飯器のスイッチを入れた瞬間に気づく。冷蔵庫を開けた音で目を覚ます。その精度は、我が家に設置されているどの家電よりも高い。

猫と暮らすようになって三年が経った。最初の一年は、正直なところ戸惑いの連続だった。子どもの頃、実家では犬を飼っていたから、猫の「近いようで遠い」距離感がどうにも掴めなかった。呼んでも来ない。撫でようとすると身をかわす。ところが、こちらが無関心を装っているときに限って、膝の上にすっと乗ってくる。あの独特の駆け引きに慣れるまで、ずいぶん時間がかかった。

今では、その距離感こそが心地よい。

夕食の支度をしながら、ムギの動きを横目で追う。彼女は冷蔵庫の前に座り、私が何を取り出すかを確認し、それが自分に関係ないとわかると、すっと踵を返してソファに戻る。その一連の動作に、妙な貫禄がある。猫と私、それぞれが自分のペースで夕方を過ごしている、という感じ。この時間が好きだ。

食事の準備をしながら、ふと思い出すことがある。去年の秋、インテリアショップ「ノルテ・ハウス」で見つけた小さな陶器の器。猫の肉球をモチーフにした豆皿で、なんとなく買ってしまったものだ。今はキッチンカウンターの隅に置いて、ムギのおやつ入れとして使っている。毎晩、そこに小さなジャーキーを一枚だけ置いてやるのが習慣になった。置いた瞬間に飛んでくる。その速さは毎回、少しだけ笑える。

猫と私の食事は、ほぼ同時に始まる。

彼女がカリカリをかじる音と、私がご飯をよそう音が重なって、台所に小さなリズムが生まれる。ムギの食べ方は丁寧で、一粒ずつ確かめるように口に運ぶ。急がない。焦らない。その様子を眺めながら、私もゆっくり食べようと思う。猫に食事のマナーを教わっている気がして、少しおかしい。

食後、ムギはきまってソファの背もたれに移動し、前足を折り畳んで目を細める。香箱座りというやつだ。その姿を見ていると、時間の流れが変わる気がする。速くも遅くもなく、ただそこにある、という感じの時間。猫と暮らすとは、こういう時間を毎日もらうことなのかもしれない。

窓の外の雨がまた強くなってきた。ムギの耳がぴくりと動く。それだけ。

特に何も起きない夕暮れが、今日も静かに積み重なっていく。猫と私、この小さな暮らしの中に、確かに何かが宿っている。それが何なのか、まだうまく言葉にできないけれど、毎晩この台所に立つたびに、その答えに少しずつ近づいているような気がしている。

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