
五月の午後、窓から差し込む光がやわらかく床に落ちていた。埃っぽいような、青草のような、春の終わりかけの独特な匂いが漂う中、私はふと思い立ってしまった。「今日こそ、きれいにしよう」と。
対象はもちろん、うちの猫——ノルマンディという名のキジトラ、推定4歳。名前だけは優雅だが、性格はどこまでも頑固で、気まぐれで、そして水が死ぬほど嫌いだ。
猫は汗をかかない。正確には、汗をかくのは肉球だけ。
だから本来、猫の入浴はそこまで頻繁に必要なものではない。
室内で暮らす短毛の猫であれば、基本的にはお風呂に入れなくても清潔を保てることがほとんどで、多くても年に1〜2回くらいで十分
だという。それは頭でわかっている。わかっているのだが、ノルマンディはどこからともなく泥のようなものを背中につけて帰宅し(完全室内飼いなのに、どこで?)、もはや見過ごせない状態になっていた。
浴室の扉を開けると、タイルの冷たさが足に伝わってくる。シャワーのお湯が出るまでの数秒間、水音だけが響く。
ペット用バスタブにぬるま湯(35℃前後)を溜め、猫用シャンプーを溶かしておく。
濡れたハンドタオルも顔周り用に用意して、準備は万全のはずだった。
ノルマンディを抱えて浴室に連れていくと、すでに空気を読んでいた。目が細くなり、耳が横に倒れ、尻尾がぴんと立つ。「あ、これ知ってる」という顔だ。
足元からゆっくりと水に慣れさせる。突然全身を濡らすと猫が驚くため、足元から徐々に水をかけるようにする。
そう心がけていても、最初の一滴でノルマンディは低く唸り声を上げた。猫の入浴というのは、静かな儀式ではない。これはもう、にぎやかな格闘技だ。
ところが今日は少し違った。いつもなら第一声で鳴き叫ぶのに、ぬるいお湯がお腹のあたりに触れた瞬間、ほんの少しだけ力が抜けた。私が「いい子だね」と声をかけると、ノルマンディはちらりとこちらを見て、それからまた視線を逸らした。その横顔が、なんとなく「しょうがないな」と言っているように見えた——完全に飼い主の幻想かもしれないが。
シャンプーは背中から、毛並みに逆らって下から上へと洗う。お腹側は皮膚が薄いので、爪を立てないように気をつけて。
泡が立ちはじめると、ぼんやりとした石けんの香りが浴室に広がった。猫の毛というのは不思議で、濡れると一回り細く見えて、まるで別の生き物みたいになる。
子どもの頃、実家で飼っていた猫も同じだった。母が台所の流し台で洗おうとして、猫が蛇口ごと体当たりして逃げ出したあの日のことを、なぜかふいに思い出した。あの猫も、名前はムーン。やはり水が嫌いだった。猫と水の相性は、時代を超えても変わらないらしい。
洗い桶にお湯をはって、お湯が循環してきれいになるまで徹底的にシャンプー剤を洗い流す。お湯の中で猫の毛がサワサワと揺れるように1本1本が離れていれば皮脂は落ちている。
その感触を確かめながら、丁寧にすすいでいく。
タオルドライはゴシゴシと擦るのではなく、タオルを体に押し当てるようにして優しく拭いてあげる。ドライヤーの時間をなるべく短くするため、複数枚のタオルを使ってしっかりと水気をとってあげることが重要だ。
ふわふわのバスタオルでノルマンディをくるんだとき、彼は小さく「ふぅ」と鼻を鳴らした。怒っているのか、安堵しているのか、正直よくわからない。
ドライヤーの音を聞かせると、一瞬びくっとして、また低く唸る。それでも逃げなかった。これは進歩だと思う。去年は浴室のドアを体当たりで開けて脱走したのだから。
乾かし終えたノルマンディは、もこもこに膨らんで、なんとも言えない表情でこちらを見ていた。毛並みはふわっとして、触れると温かく、かすかにシャンプーの香りがした。「きれいになったね」と声をかけると、彼はぷいと顔を背け、ソファの端に座ってセルフグルーミングを始めた。
猫の入浴は、にぎやかで、消耗して、でもどこかおかしくて愛しい時間だ。終わった後に漂うあの静けさと、ふかふかになった猫の温もりのために、また懲りずにやってしまうのだろうと思う。きれいにしよう——そのひと言が引き起こす小さな嵐は、今日も我が家の五月の午後に溶けていった。


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