
朝の5時に目が覚めたのは、廊下を全力疾走する猫のせいだった。
うちの猫は夜中になると突然スイッチが入る。いや、正確には夜中じゃなくて明け方なんだけど、とにかく走る。ドタドタドタドタという足音が信じられないくらい大きくて、体重4キロの生き物が出せる音じゃない。最初の頃は「何かに追われてるのか」って本気で心配したし、獣医さんにも相談した。答えは「猫ってそういうものです」。そうですか。
リビングのソファに座って、走り回る猫をぼんやり眺めていると、なんだか呆れるというより感心してくる。あの小さな体のどこにそんなエネルギーが詰まってるんだろう。キッチンからリビング、リビングから寝室、寝室から廊下、廊下からまたキッチン。同じルートを何周もしてる。しかも途中で急ブレーキかけたり、カーテンによじ登ったり、見えない敵と戦ったりする。私はただ座って、その様子を見てる。
去年の秋だったか、友達が泊まりに来たことがあって。
その友達は猫を飼ったことがなくて、「猫ってもっと優雅でおしとやかな生き物だと思ってた」って言ってた。わかる。私もそう思ってた。雑誌に出てくる猫って、だいたい窓辺で丸くなってるか、飼い主の膝の上で気持ちよさそうに寝てるかのどっちかだもん。走り回って家具にぶつかって「ニャッ」って変な声出してる猫の写真なんて載ってない。でもリアルはこれ。深夜2時に全力ダッシュして、カーテンレールの上に飛び乗って、そこから飛び降りる瞬間に空中で一回転する。何がしたいのかわからない。
猫用のおもちゃは一通り買った。ネズミの形したやつ、羽根がついた棒、自動で動くボール。最初は食いついてたけど、すぐ飽きる。結局いちばん夢中になるのは、床に落ちてる髪ゴムとか、丸めたレシートとか、そういうどうでもいいもの。この前なんて、私が脱ぎ捨てた靴下を咥えて走り回ってた。新品のおもちゃには見向きもしないくせに。
呆然と見つめる時間が長くなったのは、たぶん諦めたからだと思う。
最初は「なんとかしなきゃ」って焦ってた。運動不足なのかもしれない、ストレスがあるのかもしれない、何か病気なのかもしれない。ネットで「猫 夜中 走り回る」って検索して、出てきた記事を片っ端から読んだ。対策も試した。寝る前にたくさん遊んであげるとか、ご飯の時間を調整するとか、部屋の環境を見直すとか。効果があったかどうかは微妙。相変わらず走ってる。
ある日、ふと気づいたんだけど、猫が走り回ってる時の顔って、すごく楽しそうなんだよね。目がキラキラしてて、耳がピンと立ってて、尻尾がピーンと上を向いてる。あれは明らかに「楽しい」の顔。人間から見たら意味不明な行動でも、本人は最高に楽しんでる。それに気づいてから、なんか止めるのが申し訳なくなってきた。
賑やかな猫、という表現がぴったりかもしれない。静かな猫を想像して飼い始めたのに、実際は家の中で運動会を開催するタイプだった。ギャップがすごい。昼間は本当におとなしくて、窓際で日向ぼっこしながら寝てる。その姿を見てると「ああ、これが猫だよね」って思う。でも夜になると別人格。いや、別猫格?
友達に「猫がうるさくて眠れない」って愚痴ったら、「耳栓すれば?」って言われた。確かにそうなんだけど、なんか違う気がする。耳栓して寝たら、猫が何かあった時に気づけないかもしれないし。まあ、それは建前で、本音は「走り回る音が聞こえないと逆に心配になる」なんだけど。慣れって怖い。
今はもう、猫が走り出しても起きない。音は聞こえてるけど、半分寝ながら「ああ、また始まったな」って思うだけ。たまに何かが倒れる音がすると、一瞬だけ目を開けて「大丈夫か?」って確認する。猫は何事もなかったかのように走り続けてる。私はまた目を閉じる。
呆れるというより、もう諦めの境地。
猫を見つめる時間は、たぶんこれからも続く。理由を考えるのはやめた。答えなんてないし、あったとしても猫にしかわからない。ただ、走りたいから走ってるだけ。それでいいんじゃないかな…って思い始めてる。

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