
秋が深まると、布団の中がいっそう恋しくなる。
十月の朝というのは、妙に空気が澄んでいて、カーテンの隙間から差し込む光がやけに白い。その白さが、まぶたの裏にじわりと滲んでくる時間帯——まだ完全には目覚めていない、あのとろけるような半覚醒の状態が、私はひそかに好きだった。意識があるのかないのか、自分でもよくわからないまま、温かい羽毛布団の中でじっとしている。時刻にして、たぶん六時前後。世界はまだ静かで、遠くを走る車の音だけが、ときおり窓の外を通り過ぎていく。
そんなまどろみの中に、ある朝、ずしりとした重みが乗ってきた。
胸のあたりに、何かが。
目を開けると、うちの猫——三歳になるキジトラの「むぎ」が、前足を揃えてちょこんと座っていた。そしてこちらをまっすぐに見下ろしていた。その可愛い瞳が、静かに、しかし確実に「起きろ」と告げていた。言葉はない。ただ、あの黄緑色の虹彩が、ゆっくりと細くなっていく。
猫に起こされる、という体験は、不思議と怒れない。
目覚まし時計が鳴れば舌打ちのひとつもしたくなるのに、むぎが胸の上に乗ってきた瞬間、私の中の何かがふっと緩んだ。ベッドの中で固まっていた体が、自然とほどけていく感じ。頬のあたりに触れる朝の冷気と、むぎの体温のコントラストが、妙に心地よかった。猫の毛並みというのは、こんなに温かかっただろうか、と毎回思う。
むぎはしばらくそのままじっとしていたかと思うと、今度は鼻先を私の顎にぐりぐりと押し当ててきた。ごろごろという振動が、胸の奥まで伝わってくる。香りは、かすかに日向のにおいがした。どこで日向ぼっこをしていたのか、毛の表面に光が染み込んでいるような、そんな温かい香り。
子どもの頃、実家で飼っていた猫も、こうして朝に起こしに来た。あの子は白黒のハチワレで、名前は「しろまる」といった。毎朝決まった時間に布団の上に乗り上げてきて、母がどれだけ迷惑がっていたか。でも今になって思えば、しろまるが来た朝の記憶だけが、妙に鮮やかに残っている。人間の目覚まし時計よりも、猫の体内時計のほうが、ずっと正確で、ずっと優しかった。
むぎとの暮らしを始めてから、私の朝は少し変わった。
以前は布団の中でスマートフォンをだらだらと眺め、気づけば三十分が経っている、という朝を繰り返していた。でも今は、むぎが来た瞬間に体が動く。ベッドの中でぐずぐずしている暇がない。むぎは待ってくれないし、その可愛い瞳で見つめられ続けると、こちらの意志が溶けていく。
ある朝のこと。むぎにいつものように起こされ、ふらふらと台所に立ってフードを用意した。ウェットタイプのパウチを開け、器に盛り、得意げに差し出したところ——むぎはひと嗅ぎして、くるりと背を向けた。昨日まで喜んで食べていたのに。猫の気まぐれに振り回されながら、(じゃあなんで起こしたんだ)と心の中でそっとツッコんだ朝だった。
インテリアにこだわる友人が、「ネストリーフ」というブランドのリネンシーツを勧めてくれたのは、去年の秋のことだ。肌触りが良くて、洗うたびに柔らかくなるというそのシーツを試してから、ベッドの中の時間がさらに好きになった。そこにむぎが加わると、もう出られない。
猫に起こされる朝は、ある意味で、最良の目覚めだと思う。
誰かに必要とされている、という感覚が、眠気の中にじんわりと広がる。むぎはきっとただお腹が空いているだけで、そこに深い意味はないのかもしれない。それでも、あの重みと温もりと、まっすぐな可愛い瞳が、私を今日という一日へと引き戻してくれる。
十月の朝の光の中で、むぎはまた胸の上に乗ってくるだろう。そしてまた、私はベッドの中から引きずり出される。それでいい、と思っている。

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