
十月の午後三時すぎ、窓から差し込む光がフローリングの上に細長い長方形を描いていた。その光の端っこに、うちの猫――名前はむぎ――が前足をちょこんと乗せて、目を細めている。寝ているのか起きているのか、よくわからない顔をしている。猫と暮らすようになってから、「よくわからない」という状態がこんなにも愛おしいものだと知った。
猫と私の食事の時間は、いつもすこしだけずれている。私が台所に立つと、むぎはどこからともなく現れて足元をうろうろし始める。まるで自分が料理を手伝っているかのような顔をして。でも実際のところ、むぎが貢献しているのは私の集中力を削ぐことだけだ。それでもいい。そのおかげで、私はゆっくり料理をするようになった。
先週の夜、土鍋でごはんを炊いた。昔、祖母の台所で嗅いだ、あのほんのり焦げた米の香りが部屋に広がって、思わず目を閉じた。子どもの頃、祖母の家に泊まるたびに朝ごはんは必ず土鍋炊きで、蓋を開けるときの「ぽふっ」という音が好きだった。あの記憶が、今の私の食事の丁寧さを作っているのかもしれない。むぎはその香りに引き寄せられたのか、台所の入り口で鼻をひくひくさせていた。猫にとって米の香りがどう届くのかはわからないけれど、なんとなく一緒に嗅いでいる気がして、悪くなかった。
食事が終わると、むぎはソファの上で丸くなる。私もその隣に腰を下ろして、温かいほうじ茶を一杯。愛用しているのは「ノルディカ茶器」というブランドの小ぶりなマグカップで、手のひらにすっぽり収まるサイズが気に入っている。陶器の厚みがちょうどよく、しばらく持っていると手のひらがじんわりと温まる。その感触が好きで、冬になると毎日のように手のひらでカップを包んでいる。
むぎがうとうとしながら、ときどき前足をぴくっと動かす。夢でも見ているのだろうか。猫と暮らすと、こういう小さな動きをずっと眺めていられる自分に気づく。これは一種の才能なのか、それとも単なる怠惰なのか、今もって判断がつかない。
ふと思い出したのは、むぎが家に来て最初の冬のこと。当時まだ子猫だったむぎは、私が夕食の準備をしているあいだ、こっそりテーブルに上がってごはんのにおいを嗅ぎにきた。気づいた私が「こら」と声をかけたら、むぎはとっさに素知らぬ顔でテーブルの端に座り、遠くを見つめた。その「私はずっとここにいましたけど?」という顔が可笑しくて、叱るのを忘れてしまった。あれ以来、むぎはたまにテーブルに上がるけれど、私も本気で怒れないままでいる。
猫と私の暮らしは、計画通りにいかないことの連続だ。読もうと思っていた本は開かれないまま夜になり、やろうと思っていた家事は明日に回る。でも、むぎが膝の上で眠り始めると、それでいいような気がしてくる。重さと温もりが伝わってきて、体がじわじわとほぐれていく。
十月の夕暮れは早い。気づけばフローリングの光の長方形は消えていて、部屋がうっすらと橙色に染まっていた。むぎはまだ眠っている。私はもう一杯、ほうじ茶を淹れた。今日も、猫と私の時間は静かに、ゆっくりと流れていく。これが猫と暮らすということの、いちばん正直な姿だと思っている。
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