猫に起こされる朝、ベッドの中で気づいたこと

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梅雨の晴れ間が差し込む、六月の早朝のことだった。

カーテンの隙間から、まだ白っぽい光がほんのりと部屋に滲んでいた。時刻は五時四十分。目覚ましが鳴るまで、あと一時間以上ある。ベッドの中でまどろみながら、わたしは薄い夢と現実のあいだをふわふわと漂っていた。昨夜読みかけた本が枕元に置きっぱなしで、ページが少し折れていた。そんなことにも気づかないくらい、眠りは深かったはずだ。

それが、突然終わった。

額のあたりに、やわらかくて小さな感触。ぽん、ぽん。リズムがあるような、ないような。猫の前足だ。うちに来て三年になるキジトラの「むぎ」が、わたしの顔の真横に座り、ひたすら前足でつついている。目を細めながら見上げると、その可愛い瞳がまっすぐにこちらを見ていた。金色に近い琥珀色の、まるで小さな宝石みたいな瞳。「起きろ」とも「かまえ」とも読み取れる、あの真剣な眼差し。

猫に起こされる、というのはこういうことだ。目覚ましとはまったく違う。抗えない。

子どもの頃、実家で飼っていたサバ白の猫も同じだった。あの猫は顔を舐めて起こしてきた。ざらざらした舌の感触と、鼻にかかる生ぬるい息。眠いのに笑ってしまって、そのまま目が覚めてしまう。むぎのやり方はもう少し上品で、前足でちょんちょんとつつくだけだ。爪は出さない。一応、気を遣っているらしい。

ベッドの中でそのまま動かずにいると、むぎはしばらく待ってから、今度は布団の上にのそりと乗り上がってきた。胸のあたりに、ずっしりとした重さ。四キロ弱の体重が、じんわりとかかってくる。その重さが、なんとも言えず心地よい。外からは、どこかの家の換気扇が回る低い音と、雨上がりの空気を切る鳥の声が混じって聞こえてくる。

このまま二度寝できるかも、と思った瞬間、むぎが「にゃっ」と短く鳴いた。一回だけ。それが妙に切実で、笑いをこらえるのに少し苦労した。

仕方なく起き上がり、キッチンへ向かう。冷蔵庫の横に置いてある「ノルテ・ペットケア」のウェットフードを一袋取り出して、小皿に盛る。むぎはその音を聞いた瞬間からもうそこにいて、尻尾をピンと立てながら足元をうろうろしている。食器をセットするまでの十秒ほどの間、わたしの足首に体を押しつけてくる。その温もりが、まだ眠い頭にじわりと染みた。

ごはんを食べ始めたむぎを横目に、わたしはコーヒーを淹れた。豆を挽く音が静かな朝に広がって、香ばしい匂いが台所に満ちる。窓の外、ベランダの手すりに雨粒がまだ残っていて、朝の光を受けてきらきらしていた。

こんな時間に起きたのは久しぶりだ、と思いながらマグカップを両手で包んだ。温かい。

猫に起こされなければ、この光景には出会えなかった。ベッドの中でまどろんでいるうちに過ぎていったはずの、静かで柔らかい朝。むぎがいなければ、わたしはきっと目覚ましが鳴るまでぐっすり眠って、この時間帯の空気の色も、雨上がりの匂いも、知らないままだった。

猫はわがままだ、とよく言われる。確かにそうだ。自分が起きたいから起こす。ごはんが食べたいから起こす。理由なんて、人間の都合とはまるで関係ない。でも、その無邪気な自己中心性が、どこか愛おしい。むぎの可愛い瞳に「もう少し寝かせてほしかった」という言葉は、どうしても届かない。届かないまま、わたしはまた明日も起こされるだろう。

それでいい、と思っている。たぶん。

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