猫と私の、とろけるような午後——食事と眠りと、小さな幸福のこと

Uncategorized

ALT

窓の外で、五月の光がやわらかく揺れていた。

午後二時を少し過ぎたころ。カーテン越しに差し込む日差しが、フローリングの上にまだらな模様を描いている。その一番明るい部分に、うちの猫——ムギ——がぴったりと体を収めて、目を細めていた。まるで光を独り占めするために生まれてきたかのような、堂々とした寝そべり方だった。

猫と暮らすようになって、もうすぐ三年になる。最初の頃は、こんなにも時間の流れ方が変わるとは思っていなかった。以前の休日は、何かしなければという焦りがどこかにあって、気づけば夕方になっていた。でも今は違う。ムギが昼寝をしていると、なんとなく自分もそのペースに引き込まれていく。急ぐ理由が、するりと消えてしまう。

猫と私の食事の時間も、そういう意味では特別だ。

ムギのごはんは、決まって朝七時と夕方五時。缶詰を開けると、台所の奥から小走りで駆けてくる音がする。あの「ぱたぱた」という軽い足音は、何度聞いても飽きない。今日はチキンとまぐろのパテタイプ——ムギが一番好きな組み合わせ——を用意した。器に盛った瞬間、鼻をひくひくさせながら近づいてきて、一口食べてから私の顔をちらっと見上げる。その目が「まあ、悪くない」と言っているような気がして、毎回少しだけ笑ってしまう。

私自身の食事は、もう少し気ままだ。

この日のお昼は、冷蔵庫にあった豆腐と、昨日の残りの味噌汁と、ごはん。それだけ。でも、ムギが傍らでうとうとしている中で食べると、なぜかとてもおいしく感じる。静かな部屋に、スプーンがお椀に当たる音だけが小さく響いていた。

子どもの頃、実家には猫がいなかった。犬を飼いたいとずっと思っていたけれど、父が動物アレルギーで、それも叶わなかった。だから猫と暮らすことは、大人になってから手に入れた、遅れてきた夢みたいなものだ。あの頃の自分に「いつか絶対に猫と暮らせるよ」と教えてあげたい気持ちが、今でもふとよぎる。

食後、ムギはソファの背もたれに移動して、また眠り始めた。

その寝顔を眺めながら、北欧インテリアブランド「ノルディスクルム」で買ったリネンのブランケットにくるまって、私もぼんやりしていた。午後の光がすこし傾いて、部屋全体がオレンジがかった色に染まりかけている。ムギの毛並みがその光の中で、うっすら金色に光っていた。手を伸ばして撫でると、温かくて、ほんの少しざらっとした感触が指先に残る。喉の奥でごろごろという音が始まった。

猫と私のこの時間には、名前がない。

まったりとした時間、という言葉が一番近いかもしれないけれど、それだけでは足りない気もする。何かを達成しているわけでも、どこかへ向かっているわけでもない。ただ、ここにいる。それだけのことが、こんなにも満ち足りているとは、猫と暮らす前の私には想像もできなかった。

そういえば先週、ムギのごはんを準備しようとして、うっかり自分のマグカップに猫缶のスプーンを入れてしまったことがあった。コーヒーを飲もうとして気づいたときの、あの微妙な間。ムギはそんな私を一切気にせず、器の前で正座して待っていた。なんとも言えない、おかしな朝だった。

猫と私の日々は、そんな小さなズレと、小さな幸せでできている。

窓の外では、五月の風が木の葉をそっと揺らしていた。ムギはまだ眠っている。この午後が、もう少し続けばいいと思いながら、私もそっと目を閉じた。


**文字数:約1,930文字**

コメント

タイトルとURLをコピーしました