猫をきれいにしよう――にぎやかな入浴記録と、水しぶきの向こうに見えたもの

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十月の朝、窓から差し込む光がやわらかく床を染めていた。秋晴れ特有の、少し乾いた空気。その中でわたしは腕まくりをしながら、浴室のドアをそっと閉めた。今日は猫の入浴日だ。

うちには三匹の猫がいる。長毛のムーン、短毛でがっしりしたクロスケ、そして末っ子の小さなシロコ。三匹まとめて順番に洗う、というのが最近の週末のルーティンになっている。「猫を洗いまくっている」などと言うと驚かれることが多いのだけれど、やってみると意外とそれぞれの個性が出て、なかなかおもしろい。

猫がお風呂を嫌がるのには本能的な理由がある。
それはわかっている。わかっているのに、わたしは今日もシャワーを構える。
お湯の温度は35〜38度のぬるま湯が理想的で、シャワーヘッドは使わず小さな容器でかけるのがいい
と知ってからは、ずいぶん三匹の抵抗も和らいだ気がする。

最初はムーンから。長毛種だから、
数か月に一度はしっかり入浴させてあげる必要がある。
シャワーを当てると、あの豊かな毛がぺたりと張り付いて、急に小さな生き物になる。いつもの優雅さはどこへやら。びしょ濡れのムーンが振り向いた瞬間、その顔があまりにも「なぜこんな目に」という表情をしていて、思わず吹き出してしまった。心の中で「ごめん、でもきれいにしてあげたいんだ」と言い訳した。

シャンプーは人の手のひらで泡立てて、猫をマッサージするように優しく撫でながら洗う。
ムーンの背中に指を沿わせると、もこもこした泡の感触と、その奥に温かい体温がある。猫の体温というのは、洗っているときにだけ感じられる特別な温もりだと思う。シャンプーの泡が立つときのかすかな音、シュワシュワという細かい気泡の気配。浴室に充満する、無香料のペット用シャンプー「ナチュラルポー」のほのかな植物系の香り。五感がぜんぶ、この小さな入浴の時間に集中する。

ムーンが終わると、次はクロスケ。こいつが一番のくせ者で、浴室のドアの前でもう全力で抵抗を始める。にぎやかなのは毎回のことで、鳴き声と水音と、わたしの「ちょっと待ってー」という声が混じり合う。
複数人で対応するのが理想で、一人が猫を支え、一人が洗うのがスムーズ
なのだが、今日はひとりだ。なんとかクロスケを洗い終えたとき、わたしの服はすでにほぼ濡れていた。鏡を見たら、前髪が水しぶきでぺたっと顔に張り付いていた。猫を洗っているのか、自分が洗われているのか、もはやわからない。

末っ子のシロコは意外にも、三匹の中でいちばんお風呂が平気だ。お湯をかけられても目を細めて、どこかうっとりしているように見える。
お風呂に入って温まるのが好きな猫もいる
と知ったとき、シロコのことを思い出した。確かに、この子はそういうタイプかもしれない。

子どものころ、実家で飼っていた猫を初めて洗おうとして、盛大に引っかかれたことがある。あのとき母に「猫は自分で洗えるんだから放っておきなさい」と言われた記憶がある。それから二十年以上経って、今こうして三匹を順番に洗っている。
入浴後はおやつや褒め言葉で猫をリラックスさせ、良い経験として記憶させる
のがいいと知ったのも、大人になってからだ。

乾燥させるときは、タオルを優しく押し付けて水分を吸収させ、弱風のドライヤーで仕上げる。
三匹ぶんのタオルドライが終わると、浴室の床には抜け毛と水たまりが残っている。それを片付けながら、今日もにぎやかな猫の入浴が無事に終わったことに、静かな満足感を覚える。

きれいにしよう、という気持ちは、猫への愛情のひとつの形だと思う。嫌がられても、抵抗されても、終わったあとにふわふわになった三匹が日向でうとうとしているのを見ると、それだけでもう十分だと感じる。十月の朝の光の中で、三匹の寝息だけが浴室の喧騒を忘れさせてくれる。猫の入浴は、きっとこれからも続く。

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