猫の入浴、今日もにぎやかに始まる。

Uncategorized

ALT

十月の朝、窓の外からうっすらと金木犀の香りが漂い込んでくる。その甘さに気づいた瞬間、私はもう腹をくくっていた。今日こそ、きれいにしよう。ソファで丸まっているムギのことを。

ムギはうちに来て四年になる、サビ柄のオス猫だ。体重は五・二キロ。ずっしりしている。抱き上げると、腕の中で「このまま永遠にここにいる」という意思表示のように、全身の力を抜いてくる。それがずるい。毎回そのずるさに負けて、お風呂を先延ばしにしてきた。でも今日は違う。

猫の入浴は、準備が命だ。猫用シャンプー、バスタオル三枚、吸水力の高いマイクロファイバータオル、そして私の覚悟。洗面台に35度ほどのぬるま湯を張り、シャンプーを薄めておく。子どもの頃、母が私を風呂に入れるとき、いつも「ちょっとぬるいかな」くらいにお湯を調整していた。あの感覚が今になって役に立つとは思わなかった。

ムギを抱えて浴室に踏み込む。途端に空気が変わった。彼の耳がぴんと立ち、ひげがわずかに震える。「あ、気づいた」と思った瞬間、もう遅い。腕の中で体が岩のように固くなる。にぎやかになるのは、ここからだ。

お湯を足先からゆっくりかける。シャワーヘッドは体に密着させて、音と水しぶきを最小限に。それでもムギは低い声で「うーん」と唸る。怒っているのか、諦めているのか、判断がつかない。背中から首のあたりへ、毛並みに沿って泡を広げていく。ふわふわだった毛が濡れて細くなり、ムギはみるみる「ただの猫」になっていく。いつもの威厳はどこへ行ったのか。

顔まわりだけは、濡らしたハンドタオルで優しく拭く。目のあたりに手を近づけると、ムギは観念したように目をつぶった。その仕草が、なぜかひどく愛おしかった。

すすぎを終えて、タオルでくるむ。このとき、ムギは毎回おとなしくなる。温かいタオルの中で、肩の力が抜けていくのがわかる。私も同じだ。一番の山を越えた安堵感。浴室の湯気の中、ふたりして少しだけ静かになる時間。

ドライヤーを低温にして、毛の根元から風を当てる。このとき私が愛用しているのが、「ノルドフェン」というスウェーデン発のペット用ドライヤーだ。風量が細かく調整できて、音が静かなのがいい。ムギも最初の頃より明らかに嫌がらなくなった。

乾いていくにつれ、毛がまたふわりと戻ってくる。さっきまで濡れ鼠だったのが嘘のようだ。きれいになったムギは、少しだけ誇らしげに見える。いや、たぶん私の気のせいだ。彼はすでに次の昼寝のことしか考えていないはずだから。

ちなみに今日、シャンプーを泡立てようとして洗面器をひっくり返し、自分の靴下がびしょ濡れになった。ムギはそれを冷静な目で見ていた。どちらが飼い主なのか、一瞬わからなくなった。

猫の入浴は、静かな格闘だ。にぎやかで、ちょっと情けなくて、でも終わった後には不思議な達成感がある。金木犀の香りがまだ窓の外に漂っている。ムギはもうソファに戻り、ぴかぴかの毛並みで丸くなっている。きれいにしよう、と思った今朝の自分を、少しだけ褒めてやりたい気分だ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました