猫に起こされる朝——ベッドの中のまどろみと、可愛い瞳に敵わない話

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九月の初旬、まだ夜の名残が部屋の隅に薄く漂っている時間のことだった。

カーテンの端から、白みはじめた空の光がほんの少しだけ差し込んでいて、わたしはベッドの中でうとうとしていた。意識は夢と現実のあいだをゆっくり漂っていて、もう少しだけ、もう少しだけ、と思いながら毛布の端を引き寄せた。シーツはひんやりしていて、でも体の周りだけが温かくて、その境界線がなんとも心地よかった。

そのとき、足元に、何かが乗った。

最初は気のせいかと思った。でも次の瞬間、ずっしりとした重みが膝の上を移動してきて、わたしの腹のあたりでとまった。息をひそめるようにして目を開けると、暗がりの中に二つの光が浮かんでいた。まるで小さな惑星みたいな、丸くて澄んだ、可愛い瞳。うちの猫の、麦(むぎ)だった。

猫は「薄明薄暮性」と呼ばれる行動パターンを持っていて、夜明け前後に最も活発になりやすい。
頭ではそれを知っていても、いざ自分の腹の上に三キロ弱の生き物がどっしりと座っているとなると、知識はまったく役に立たない。

麦はしばらくじっとこちらを見ていた。瞬きもせずに。わたしも瞬きを忘れて見つめ返した。静かな対峙が、数秒続いた。

それから麦は、小さく「にゃ」と鳴いた。

たったそれだけで、わたしの眠気はどこかへ消えてしまった。なんだろう、この感じ。抗えない、という感覚。子どもの頃、祖母の家の縁側で飼っていた茶トラ猫のことを、ふと思い出した。あの猫も朝になると決まって膝に乗ってきて、顔をぐりぐりと押しつけてきた。あの温もりと、今ここにある温もりが、するりと重なった。

愛猫が朝起こしてくるのはごはん欲しさだけではなく、「自分だけ起きているのが寂しいから」という理由もある、
とどこかで読んだことがある。そう思って麦の顔を見ると、なんだかその目が「早く起きてよ」ではなく「一緒にいたいんだけど」と言っているように見えた。勝手な解釈かもしれないけれど、そう思わせる力が、この生き物にはある。

ベッドの中から手を伸ばして、麦の頭をそっと撫でた。毛並みはやわらかくて、指の腹に吸いつくような感触があった。麦はすぐに目を細め、のどの奥でごろごろと鳴き始めた。その振動が手のひらから腕へと伝わってきて、なんだか自分まで眠くなりそうだった——でも今度は、眠れない。

無理やり起こされたはずなのに遊ぶ気持ちにさせてしまうとは恐るべし猫、
というのは本当にそのとおりで、わたしも気づけばベッドから起き上がり、麦のために台所へ向かっていた。

窓の外はもうすっかり明るくなっていた。九月の朝の空気はまだ少しひんやりしていて、素足で踏んだフローリングの冷たさが気持ちよかった。キャビネットの上に置いた北欧雑貨ブランド「フィカルム」のガラス製のコップに、麦の水を注いだ。ちょろちょろと水が落ちる音が、静かな朝の部屋に小さく響いた。

麦はわたしの足元でくるくると回りながら待っていた。ごはんを皿に盛ると、すぐに顔を突っ込んで夢中で食べ始めた。その後ろ姿があまりにも真剣で、思わず笑ってしまった。さっきまであんなに切なげな目をしていたのに、ごはんを前にすると完全に別の生き物になる。(心の中でこっそり、「さっきの目はなんだったんだ」とツッコんだ。)

飼い主さんの約9割が愛猫に朝起こされた経験があるという。
それだけ多くの人が、こうして毎朝、猫に起こされ、猫に笑わされ、猫のために台所へ立っているのだと思うと、なんだか妙に温かい気持ちになる。

猫に起こされる朝は、正直、眠い。でも、ベッドの中でまどろんでいるときに感じたあの重み、あの可愛い瞳、あのごろごろという振動——それが今日一日の、一番やわらかい記憶になるのだと、最近ようやく気づいた。

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