
五月の朝は、思ったよりも早く明ける。
カーテンの隙間からうっすら差し込む光が、フローリングの上に細長い帯をつくる。そこにいつも、うちのさびねこ・みつが丸まっている。昨日と同じ場所に、昨日とほぼ同じ形で。でも、よく見ると今日は少し背中が丸い。なんとなく、そう感じた。猫と暮らすようになってから、朝の最初の数秒で「いつもと違うかどうか」を確認するのが、自分の中の習慣になっていた。
猫は言葉で不調を伝えることができず、体調の変化や揺らぎは、行動やしぐさとしてしか表れない。
それを知ってからというもの、みつの背中の丸み、まばたきの速さ、ごはん皿に近づくときの歩幅——そういう小さなことが、気になって仕方なくなった。
体調に気をつけるとは、どういうことだろう、とよく考える。
子どもの頃、実家に猫がいた。名前はコムギといって、薄い茶色の雑種だった。ある朝コムギがごはんを残した。母はすぐ気づいたが、わたしは「気まぐれじゃない?」と思っていた。でも翌日、病院に連れて行ったら腎臓の数値が上がっていた。あのとき、もっと早く気づいていれば、と母はずっと言っていた。その記憶が、今もどこかに残っている。
普段から食事の量や回数、排泄の様子、行動パターンを把握しておくと、異変に気づきやすくなる。急に食欲が落ちた、水を飲む量が増えた、トイレの回数が増減したなどは、病気のサインかもしれない。
食事に気をつけることも、毎日の積み重ねだ。
猫にとって食事は、単なる栄養補給ではなく、生活のリズムを整える大切な時間。毎日決まった時間の食事で猫は安心し、ストレスが軽減される。
みつには朝と夜、決まった時間にごはんをあげている。使っているのは「ノルディコペット」というスウェーデン発の架空のブランドのウェットフードで、魚の香りがふわっと広がる。缶を開けるとみつが台所に飛んでくる。その音と香りと、小走りの足音——それが毎朝の、ちいさな儀式だ。
人間にとって問題ない食べ物でも、猫にとっては毒性のあるものや、消化不良を起こすものがある。ネギ類やチョコレート、ブドウなどは与えてはいけない。
これを知ってから、自分の食事中にみつがテーブルに上がってきても、絶対に分け与えないようにしている。以前、うっかりツナ缶の汁をなめさせてしまったことがあって、塩分が心配で夜中に何度もトイレを確認しに行った。あれは本当に反省した。
動きに気をつけることも、同じくらい大事だと思っている。
歩き方に注意することも重要で、足を引きずる、ジャンプをしない、よろよろと歩くなどの変化は見逃せないサインだ。
みつはもともとよく跳ぶ子で、棚の上や冷蔵庫の上が好きだった。それがある時期からぴたりとやまった。最初は「落ち着いてきたのかな」と思っていたが、獣医さんに話したら関節の確認をしてもらえた。何もなかったけれど、「気づいてあげられてよかった」と言われた。その言葉が、妙に嬉しかった。
日常の生活環境をできるだけ安定させ、安心できる居場所や一定の生活リズムを保つことは、ストレスをためにくくする基本。消化や体調に配慮された安定した食事も、体のバランスを支える大切な要素になる。
ある夕暮れ、みつがソファの肘掛けにあごを乗せて、うとうとしていた。窓の外から夕方の光が差し込んで、みつの毛並みがオレンジ色に染まっていた。温かくも、少し切ない色だった。触れると、低く喉を鳴らした。ゴロゴロという振動が、手のひらに伝わってくる。こういう瞬間に、ふと思う。この子が元気でいてくれることが、どれほど日常の支えになっているか、と。
猫は痛みや不快感を周りに悟られないようにひとりでおとなしく我慢してしまうこともある。「いつもと違う」という猫が発するサインを飼い主が見逃さないようにすることが、猫にとって何より頼りになることかもしれない。
体調に気をつけるというのは、特別なことをするのではなく、毎日の「いつも通り」を丁寧に見ていることなのだと思う。ごはんの食べっぷり、歩くときの重心、毛並みのツヤ、瞳の輝き。どれも、ほんの少しの変化から始まる。
みつは今日も、朝の光の中に丸まっている。背中の丸みは——まあ、いつも通りかな、と思うことにした。でも念のため、今夜はもう少し長く、撫でてみるつもりだ。

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