猫に起こされる朝、ベッドの中でまどろむ幸福について

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五月の夜明けは、思っていたよりずっと早くやってくる。

カーテンの隙間から薄い光が差し込み始めた頃、まだ夢の輪郭が残っているベッドの中で、わたしはそれを感じた。重みだ。小さくて、温かくて、確かな重み。足のあたりにふわりと何かが乗った、と思った瞬間、それはするするとシーツの上を移動して、腹部のあたりで止まった。

シロのことだ、とすぐにわかった。

シロはスコティッシュフォールドの雑種で、正確には白くない。背中に薄いキジトラ模様がある。名前の由来は、拾った日に着ていた白いパーカーだったか、それとも単に思いつきだったか、もう覚えていない。そういう曖昧さも含めて、三年が経った。

目を開けると、シロはわたしの胸の上に座り、真正面からこちらを見ていた。可愛い瞳が、夜明けの薄明かりをまっすぐ反射している。琥珀色というより、もう少し深みのある、熟れた柿の実に似た色。その目がじっとわたしを見つめていて、まばたきを一度した。それだけだった。鳴きもせず、ただ見ていた。

猫に起こされる、ということの不思議さをときどき思う。目覚ましのアラームとは全然違う。あれは断ち切られる感じがするけれど、シロに起こされる朝は、夢がゆっくりほどけていくような感覚がある。まどろみの中に、温かい体温がじわりと混ざってくる。

子どもの頃、実家にも猫がいた。名前はムギ。麦色のキジトラで、朝になると決まって枕元に来ては、ぺたぺたと顔を踏んでいった。当時は迷惑だと思っていたのに、今になると、あの重さと温度をやけにはっきり思い出せる。不思議なことに、嫌な記憶はひとつもない。

ベッドの中でまどろみながら、シロの喉がゴロゴロと鳴り始めた。低く、規則的な振動が胸に伝わってくる。外では、どこかの鳥がさえずっている。五月の朝の空気はまだ少し冷たくて、布団から出た手の甲にひやりとした感触があった。それでもシロの体はあたたかく、毛の柔らかさはいつも驚くほどだ。インテリアショップ「ノルドハウス」で買ったリネンのシーツが、その体温をじんわりと吸収している気がした。

シロが前足でわたしの胸をゆっくり踏み始めた。いわゆる「ふみふみ」というやつで、これをされると、もう起きるしかない。抗う気力が、どこかへ消えていく。

正直に言えば、今日は少し早すぎた。スマートフォンを確認すると、午前五時十七分。昨夜は遅くまで仕事をしていたので、できればあと一時間は眠りたかった。心の中で「もう少しだけ…」と思ったそのとき、シロが鼻先をわたしの顎にぐりぐりと押しつけてきた。ごはんなのか、甘えたいのか、それとも単純に起こしたいだけなのか。猫の気持ちは、三年経っても完全にはわからない。(正直なところ、わからないままでいい気もしている。)

起き上がると、シロはすとんとベッドから飛び降りて、台所のほうへ歩いていった。その後ろ姿を眺めながら、キッチンへ向かう。ひんやりとしたフローリングを踏む感触。フードの袋を開ける音に、シロの耳がぴくりと動いた。

ごはんをあげてしまうと、シロはあっという間に食べ終えて、窓際の日だまりへ移動した。そしてそのまま、丸くなって目を閉じた。起こした張本人が、もう寝ている。

わたしはそれを見て、なぜか笑ってしまった。怒る気にもなれないのが、猫という生き物の恐ろしさだと思う。

コーヒーメーカーが静かに動き始め、部屋に豆の香りが広がっていく。窓の外、五月の朝の光は、昨日よりも少し強くなっていた。カーテン越しに差し込む白い光の中で、シロの毛並みが柔らかく輝いている。可愛い瞳はもう閉じられていて、その寝顔はどこまでも穏やかだ。

猫に起こされる朝は、ベッドの中でまどろんでいた時間ごと、丸ごと愛おしい。目覚ましでは絶対に得られない、この感覚のことを、うまく言葉にできないまま今日もコーヒーを飲む。それでいいと思っている。

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