
うちの猫、洗うことにした。
きっかけは先月の雨の日で、ベランダに出たがってた三毛猫のミルクが網戸をこじ開けて脱走して、帰ってきたときには泥まみれだったんだよね。その時は濡れタオルで拭いただけで済ませたんだけど、なんというか、それ以来ずっと気になってて。猫って自分で毛づくろいするから基本的に洗わなくていいって言うじゃん?でも実際触ってみると、なんとなく脂っぽいというか、ちょっとホコリっぽいというか。人間だって毎日風呂入るのに、猫が一生入らないっておかしくない?
そんなわけで、ある土曜の午後、洗面所に猫用シャンプーと大量のタオルを準備した。買ってきたのは「キャットスパ・プロ」っていう、やたら高級そうなパッケージのやつ。ペットショップの店員さんが「これなら嫌がりませんよ」って自信満々に勧めてきたから信じたんだけど…まあ、結果から言うとあれは嘘だった。
ミルクを抱えて洗面所に入った瞬間、やつの耳がピクッと動いた。
猫って本当に勘がいい。水の気配を察知したのか、それとも私の緊張が伝わったのか、急に体を硬直させて「ニャアアア」って低い声で鳴き始めた。いや待って、まだ何もしてないから。とりあえず洗面台にそっと置いて、ぬるま湯を出す。シャワーヘッドから流れる水の音が、やけに大きく響く。夏の終わりの午後三時くらいで、窓から差し込む西日が洗面所の白いタイルに反射してた。
最初の一滴がミルクの背中に落ちた瞬間、地獄が始まった。
爪を立てて洗面台を駆け上がろうとするミルク。滑って転ぶミルク。私の腕に爪痕を残しながら必死で逃げようとするミルク。シャンプーのボトルが床に落ちて、ラベンダーの香りが洗面所中に充満する。「落ち着いて!きれいにしようとしてるだけだから!」って叫んでも、猫に言葉は通じない。当たり前だけど。濡れた毛がぺったりと体に張り付いて、普段の三分の一くらいの大きさになったミルクは、なんだか哀れで、でも必死すぎて少し笑えてきて。
そういえば小学生の頃、友達の家で金魚すくいの金魚を洗おうとして怒られたことがあったな。あの時も「きれいにしてあげようと思って」って言い訳したんだけど、友達のお母さんに「魚は洗わないの!」って真顔で説明されて。今思えば当然なんだけど、子供の頃って妙な正義感があるよね。
結局、シャンプーを泡立てて体全体を洗うまでに20分くらいかかった。ミルクは諦めたのか、途中から動かなくなって、ただ小刻みに震えながら私を見上げてた。その目が「裏切り者」って言ってる気がして、ちょっと罪悪感。でももう後には引けない。泡まみれになった三毛模様は、白と茶色とグレーの境界が曖昧になって、なんだか抽象画みたいだった。
すすぎが一番大変だった。シャワーの水圧を弱めても、ミルクは顔に水がかかるたびに首を振って、洗面所中に水しぶきが飛ぶ。鏡も壁も床もびしょ濡れ。私も濡れた。というか、最終的には私の方がミルクより濡れてたかもしれない。Tシャツが背中に張り付いて気持ち悪いし、髪の毛から水が滴ってるし。
タオルドライの段階で、ミルクは完全に無抵抗になってた。大きなバスタオルでくるんで、ゴシゴシ拭く。普段は絶対に触らせてくれないお腹も、この時ばかりは好きなだけ拭けた。濡れた猫の匂いって独特で、なんというか、ちょっと獣っぽいというか、でも嫌いじゃない匂い。ドライヤーをかけようとしたら、さすがにまた暴れ出したから、自然乾燥に切り替えた。
二時間後、リビングのソファの上で毛づくろいに励むミルクを見ながら、私は濡れたTシャツを着替えた。
きれいになったかって?正直よくわからない。乾いたミルクの毛並みは、確かにふわふわしてる気がするけど、それが洗ったおかげなのか、単に毛づくろいのおかげなのか。ミルクは私を見ようともしないで、ひたすら自分の前足を舐めてる。
洗面所の掃除に30分かかった。排水溝には大量の猫の毛が詰まってて、壁についた水滴を拭いて、床のシャンプーの泡を流して。腕の引っかき傷がヒリヒリする。
次はいつ洗おうかな…って考えかけて、やめた。

コメント