猫と暮らす台所で、私が何もしない理由

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猫を飼い始めてから、夕飯の支度が異様に遅くなった。

理由は簡単で、キッチンに立つと必ず足元に灰色の毛玉が現れるからだ。うちの猫は料理中の私の足にまとわりつくのが日課になっていて、包丁を持っているときも、鍋を火にかけているときも、おかまいなしに「ニャー」と鳴きながら足首をすりすりしてくる。危ないから、と何度も移動させるんだけど、気づくとまた戻ってきている。で、結局私は猫を踏まないように中腰のまま、ぎこちない姿勢で野菜を切ることになる。

この前なんて、玉ねぎを炒めている最中に猫がコンロの真横に飛び乗ろうとして、慌てて抱きかかえたら袖口が火に近づきすぎてちょっと焦げた。焦げ臭い匂いが部屋中に広がって、猫は「なんだこれ」みたいな顔でこっちを見てる。お前のせいだよ、と心の中で突っ込んだけど、あの無邪気な顔を見ると怒る気にもなれなくて、結局また頭を撫でてしまった。

猫と暮らすようになってから、食事の時間そのものが変わった気がする。以前は効率重視で、ささっと作ってさっさと食べて片付ける、みたいなリズムだったんだけど、今はそうもいかない。猫がテーブルの下で私の足をじっと見つめているし、ときどき椅子に飛び乗ってきて皿の匂いを嗅ごうとするし、食後はなぜか私の膝の上で丸くなって寝始める。

そうなると動けないわけで、食器は流しに置きっぱなし、テーブルの上も片付かないまま、私は猫の寝息を聞きながらぼんやりとスマホをいじる時間が増えた。これって怠けてるだけじゃないかと自分でも思うんだけど、膝の上で安心しきって眠る猫を見ていると、まあいいかという気持ちになる。

友人が遊びに来たとき、「猫といると時間の流れ方が違うよね」と言っていたのを思い出す。

その友人は猫を三匹飼っていて、休日は一日中猫と過ごすらしい。「何するの?」と聞いたら、「別に何もしない」と笑っていた。ただ猫を眺めたり、一緒にゴロゴロしたり、たまに遊んだり。そういう時間が贅沢なんだと彼女は言っていて、当時はピンとこなかったけど、今ならわかる。猫は私たちに「何もしない時間」をくれるんだと思う。

朝ごはんのときも同じで、トーストを焼いている間に猫が窓辺で伸びをしているのを見ていると、つい手を止めて眺めてしまう。朝日を浴びながらゆっくりと体を伸ばす姿は、なんというか、こっちまでリラックスしてくる。で、気づくとトーストが少し焦げている。まあ、それもいい。

昔、一人暮らしを始めたばかりの頃は、料理を頑張ろうとしていた時期があった。レシピ本を買い込んで、見栄えのいい料理を作ろうとして、結局面倒になって途中でやめた記憶がある。あの頃の私は「ちゃんとした食事」にこだわりすぎていたのかもしれない。栄養バランスがどうとか、彩りがどうとか、そういうことばかり気にしていた。

今は違う。猫がいるキッチンで作る料理は、見た目も味も適当だけど、なんだか温かい。冷蔵庫の残り物で作った味噌汁も、レトルトのカレーも、猫が足元でくつろいでいるだけで特別な食事になる。不思議なもんだ。

夜中に目が覚めて、ふと台所に立つことがある。猫も一緒についてきて、暗闇の中で私の足にすりすりしてくる。冷蔵庫を開けると、中の明かりだけがぼんやりと部屋を照らして、猫の目がキラリと光る。何か食べようかと思いながら、結局何も食べずに、猫を抱き上げてリビングに戻る。

そんな夜もある。

猫と暮らすって、たぶんこういうことなんだろう。特別な何かがあるわけじゃなくて、ただ日常の中に小さな「間」が生まれる。その「間」の中で、私たちは少しだけゆっくりになれる。食事の時間も、料理の時間も、すべてが少しだけ引き延ばされて、少しだけ柔らかくなる。

効率とか生産性とか、そういう言葉からは遠い場所で、猫は今日も私の足元で丸くなっている。

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