
窓の外、雨が降っている。うちの猫がいつもの場所で外を見つめていて、私もなんとなく隣に座った。
別にやることがないわけじゃない。洗濯物は溜まってるし、返信してないLINEもある。でも雨の日って、なんていうか、そういうのを後回しにする言い訳をくれる気がする。猫の横に座って、一緒に窓の外を見つめていると、時間の流れ方が変わるんだよね。スマホの通知も遠くに感じるし、さっきまで気にしていた締め切りのことも、ほんの少しだけ軽くなる。
雨粒が窓ガラスを叩く音が、部屋の中に小さく響いている。猫の耳がぴくっと動いた。多分、雨樋を流れる水の音に反応したんだと思う。私には聞こえない音まで拾っているんだろうな。猫の視線の先には、濡れた道路と、向かいのアパートの壁と、誰も歩いていない歩道がある。何が見えているんだろう。鳥でも探しているのか、それとも単に雨の動きを追っているだけなのか。聞いても答えてくれないから、想像するしかないんだけど。
この猫を拾ったのは三年前の夏だった。
動物病院の待合室で、獣医さんに「窓辺が好きな子ですね」って言われたことがある。健康診断に連れて行ったとき、診察が終わってキャリーケースに戻したら、すぐに窓の方を向いたんだよね。待合室の小さな窓から見える景色なんて、駐車場とフェンスくらいしかないのに。それでも猫にとっては気になる世界なんだろう。家に帰ってからも、やっぱり窓の前に陣取ってた。
雨の匂いが微かにする。窓は閉まっているはずなのに、湿った空気が部屋に入り込んでくるみたいだ。梅雨の時期特有の、重たくて生ぬるい空気。私は好きでも嫌いでもない、そういう匂い。猫の方はどう思っているんだろう。鼻をひくひくさせているから、何かは感じ取っているはず。
昔、実家で犬を飼っていたときは、雨の日の散歩が本当に面倒だった。レインコートを着せて、自分も傘をさして、それでも結局びしょ濡れになって帰ってくる。玄関で足を拭くのも一苦労で、母親に怒られたこともある。その点、猫は散歩がいらないから楽だよね…って、比べるものでもないか。
窓の外で、誰かが傘をさして歩いていく。猫の目がその動きを追った。私も一緒に見ている。その人が角を曲がって見えなくなるまで、二人でじっと見つめていた。特に何か感動的なことがあるわけじゃない。ただ、誰かが通り過ぎていくのを見ていただけ。でもそれが妙に印象に残る。雨の日の記憶って、こういう些細な瞬間で構成されている気がする。
猫が小さくあくびをした。
雨脚が少し強くなってきた。窓ガラスを打つ音が大きくなって、向かいのアパートの輪郭がぼやけて見える。猫は相変わらず外を見つめたまま。飽きないのかな、と思うけど、私も結局ずっと隣にいる。スマホを見る気にもならないし、立ち上がる理由も見つからない。こういう時間を「無駄」って呼ぶ人もいるだろうけど、無駄じゃない時間って何だろう。生産的なこと? 効率的なこと? そんなの、雨の日くらい忘れたっていいじゃん。
ふと、猫が私の方を向いた。目が合う。何か言いたげな顔をしている…ような気がするけど、多分気のせい。すぐにまた窓の方を向いた。私も視線を外に戻す。
雨はまだ降り続いている。いつ止むのかも分からないし、止んだら止んだで、また日常が戻ってくる。洗濯物のこと、返信してないLINEのこと、明日の予定のこと。でも今は、そういうのは全部向こう側にある。窓ガラス一枚の向こう側、雨の向こう側。
猫と一緒に雨を見ている。それだけの時間。


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