猫に起こされる朝は、正直めんどくさい

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まだ布団の中でぬくぬくしていたいのに、顔の上に何かが乗っかってくる。

うちの猫は朝の六時半になると必ず私を起こしに来る。別に目覚まし時計として飼っているわけじゃないんだけど、体内時計が狂わない生き物って本当にすごいと思う。私なんて休日になると昼過ぎまで寝てしまうのに。最初は鼻先をちょんちょんと触ってくる程度だったのが、無視していると次第にエスカレートしていって、最終的には私の顔面を両前足で踏みつけてくる。体重四キロの圧力が頬骨に集中すると、さすがに目が覚める。

で、目を開けると至近距離に猫の顔がある。あの、なんていうか、期待に満ちた瞳でじっと見つめられると、こっちも「ああ、もう負けたわ」って気持ちになるんだよね。

前に飼っていた猫は全然起こしに来なかったから、この子が来たときは新鮮だった。というか最初の一週間くらいは「なんて健気で可愛いんだろう」とか思っていた。三ヶ月も経つと「また来たよ…」になる。人間って慣れる生き物。

ベッドの中って本当にいい場所で、特に冬の朝なんて外気温との差が激しすぎて、布団から出るのが冒険みたいになる。そんな聖域に、容赦なく侵入してくるのが猫という生き物だ。しかも彼らは自分が可愛いことを知っている。あの上目遣いは確信犯。「ごはんちょうだい」って鳴くときの声のトーンも、絶対に計算してる。

そういえば去年の夏、友達が遊びに来たときに猫の起こし方を目撃して「調教されてるね」って笑われたんだけど。

実際のところ、猫に起こされるのって悪くないんじゃないかと最近思い始めている。スマホのアラームで起きるより、生き物の体温を感じながら目覚める方が、なんとなく一日の始まり方として優しい気がする。まあ、寝不足のときは全然そんなこと思わないけど。ベッドの端に座って、私が起き上がるのを待っている猫の後ろ姿を見ていると、「ああ、この子にとって私は餌係なんだな」って現実を突きつけられる。でもそれでいい。

朝日が少しずつカーテンの隙間から入ってくる時間帯に、猫の肉球が私の頬を押す感触。ちょっとひんやりしていて、ぷにぷにしている。あれを不快に思う人もいるかもしれないけれど、私はあの感触が嫌いじゃない。むしろ「ああ、今日も生きてるな」って実感する瞬間になっている。大げさかもしれないけれど、毎朝確実に必要とされているって、案外悪くない。

起き上がってリビングに向かうと、猫は先回りして餌皿の前で待機している。この一連の流れが完全にルーティン化していて、私が何も考えなくても体が動く。キッチンの棚を開けて、「キャットフレンド」っていうブランドのカリカリを皿に入れる。ガラガラという音と同時に、猫の鳴き声が一段と大きくなる。

餌を食べ始めた猫を横目に、私はコーヒーを淹れる。

本当は二度寝したい日もある。特に雨の日とか、空気がしっとりしていて布団が妙に気持ちいい朝とか。でも猫に起こされてしまうと、もう寝る気が失せる。これが習慣というものなのかもしれない。人間は猫に生活リズムを管理されている、と言っても過言ではない。

休日の朝、まだ薄暗い部屋の中で猫の足音が近づいてくるのを聞きながら、「ああ、またか」と思う。でもその「またか」の中に、ちょっとした安心感みたいなものがある。変わらない日常って、退屈なようでいて、実は贅沢なことなのかもしれない。

結局のところ、猫に起こされる生活が良いのか悪いのか、私にもよく分からない。ただ、もしこの子がいなくなったら、朝六時半に目が覚めることはなくなるんだろうな、とは思う。

それだけ。

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