猫に起こされる朝は、正直なところ複雑な気持ちになる

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休日の朝、布団の中でまどろんでいたら、顔の上に何かが乗った。

目を開けると、うちの猫のムギが至近距離でこっちを見ている。瞳孔が開いた黒い瞳。朝の光が斜めに差し込んでいて、ムギの耳が透けて赤く見える。可愛いんだけど、重い。顔に乗るのやめてほしいんだけど、この子は絶対に分かっててやってる。鼻息がかかるし、ヒゲが顔に触れてむずがゆい。でも動いたら負けな気がして、私はしばらく目だけでムギを見上げていた。

猫を飼い始めたのは三年前で、当時は「猫がいる生活って癒されるんだろうな」って思ってた。実際、癒しではある。ただ、起こされ方のバリエーションがこんなに豊富だとは知らなかった。顔面着地はまだマシなほうで、ひどいときは腹の上でジャンプしたり、耳元で鳴き続けたり、枕を蹴り飛ばしたりする。特に冬の朝は布団から出たくないのに、ムギは容赦なく「ごはん」って訴えてくる。

あの日もそうだった。確か十一月の終わり頃、外はまだ薄暗くて、部屋の温度計が示す数字は十二度くらい。暖房のタイマーが入る前の、一番寒い時間帯。ベッドの中だけがぬくぬくしていて、二度寝しようと思っていた矢先に、ムギが来た。最初は足元あたりをうろうろしてたんだけど、私が反応しないと分かると、徐々に上へ移動してきて、最終的に胸のあたりに座り込んだ。

で、じっと見てくる。

この「じっと見てくる」っていうのが、猫飼いあるあるだと思うんだけど、本当に効果的なんだよね。無言の圧力というか。私が目を閉じてても、視線を感じる。気配っていうのかな。諦めて目を開けると、やっぱりこっちを見てる。ムギの目って、普段は黄緑色なんだけど、朝の薄暗い光の中だと黒目がちで、なんだか真剣な表情に見える。「起きろ」って言ってるのか、「遊べ」って言ってるのか、それとも単に「お前が起きるまで見張ってる」って宣言してるのか。

そういえば前に、猫カフェ「ねこのひたい」に行ったことがあって、そこのスタッフさんが「猫は飼い主を起こすとき、相手の反応を学習してるんですよ」って教えてくれた。つまり、どうやったら確実に起きるか、試行錯誤してるらしい。ムギの場合、私が一番嫌がるのが「顔面着地」だって学習済みなんだと思う。賢いのか、意地悪なのか。

ベッドの中って、本当に特別な場所だと思う。外の世界と隔絶された、自分だけの領域。布団の重みと温かさに包まれて、まだ夢の続きが見られそうな、あの曖昧な時間。猫に起こされるまでは、至福のひとときなんだよね。起こされた瞬間、現実に引き戻される感じがする。でも不思議なもので、怒る気にはなれない。ムギの可愛い瞳を見てると、「まあ、いいか」って思ってしまう。これが猫の魔力なのかもしれない。

結局その日も、私は観念して布団から出た。ムギは満足そうに「にゃー」って一声鳴いて、先にリビングへ歩いていく。しっぽをピンと立てて。私は寒さに震えながら後を追って、キッチンでムギのごはんを用意した。カリカリの袋を開ける音で、ムギのテンションがさらに上がる。食べ始めたムギを見ながら、私はまだ眠気の残る頭でコーヒーを淹れた。窓の外が少しずつ明るくなってきて、鳥の声が聞こえる。

猫に起こされる生活が、いつの間にか当たり前になってた。休日の朝、目覚まし時計より先にムギが来る。平日は目覚ましのほうが早いけど、それでもムギは起きてきて、私が支度してる間ずっと足元にまとわりついてる。こういう日常が、悪くないなって思う瞬間がある。

たまに、ムギが来ない朝もある。そういう日は逆に心配になって、探しに行ったりする。大抵、リビングの窓際で日向ぼっこしてるんだけど。

猫との暮らしって、起こされることも含めて、全部ひっくるめて愛おしいのかもしれない…って、さっきまで思ってたけど、今また顔に乗られてる。二度目。

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