
一人暮らしを始めて3年目の春、私は猫を飼い始めた。
名前はトロ。保護猫カフェで出会った茶トラのオスで、最初に目が合ったとき、妙に人間くさい顔をしていたのが決め手だった。引き取った日、キャリーケースの中でずっと鳴いていて、家に着いたらすぐにベッドの下に潜り込んでしまった。そんなトロが私の食事時間に興味を示すようになったのは、一緒に暮らし始めて2週間ほど経った頃だったと思う。最初は遠くから様子を伺うだけだったのに、気づけばテーブルの脚に体を擦りつけて、じっと私の手元を見つめるようになっていた。
猫を飼う前、私の食事はかなり適当だった。コンビニ弁当をデスクで開けて、スマホを見ながら口に運ぶ。味なんてほとんど覚えていない。そういう食べ方を何年も続けていたから、ちゃんとテーブルで食べるという行為自体が久しぶりで、最初は少し気恥ずかしかった。
トロが来てから変わったのは、食事を作るときの意識だ。別に猫のために料理をするわけじゃない。トロには専用のフードがあるし、人間の食べ物は基本的に与えない方がいいと獣医にも言われている。それでも、キッチンに立つと必ず足元にトロがやってくる。冷蔵庫を開ける音、包丁でまな板を叩く音、フライパンが温まるジューッという音。そういう音に反応して、トロは鳴きながらキッチンマットの上をうろうろする。別に何かを要求しているわけじゃなくて、ただそこにいたいだけみたいだ。
ある日、夜の10時過ぎに冷蔵庫の残り物でパスタを作っていたとき、ふと気づいたことがある。私、誰かに見られながら料理するのって初めてかもしれない。実家にいた頃は母が作ってくれていたし、一人暮らしを始めてからは誰の視線も気にせず、適当に済ませていた。トロの視線は別に評価しているわけじゃない。ただ見ているだけ。でもその「ただ見ているだけ」が、妙に心地よかった。
食卓に料理を並べて椅子に座ると、トロは決まって私の正面、テーブルの向こう側にある窓辺のクッションに座る。そこから私の食事風景を眺めるのが、いつの間にか彼の日課になっていた。最初は「見られてると食べにくいな」と思ったけれど、すぐに慣れた。というか、慣れるどころか、トロがそこにいないと落ち着かなくなってしまった。
前の職場の同僚が「猫飼うと生活リズムが整うよ」と言っていたのを思い出す。当時は「猫に生活を支配されるなんてまっぴらだ」と思っていたけれど、実際は支配というより、緩やかな同調だった。トロの食事時間に合わせて私も規則正しく食べるようになったし、夜更かしも減った。朝6時になるとトロが顔の上に乗ってくるから、嫌でも目が覚める。
そういえば大学時代、友人と「理想の朝食」について語り合ったことがあった。彼女は「ホテルのビュッフェみたいな豪華な朝食」と言っていて、私は「誰かが作ってくれる温かいご飯」と答えた気がする。今の私の朝食は、トーストとコーヒー、それにヨーグルト。決して豪華じゃないし、自分で作っている。でもトロが窓辺で毛づくろいをしている姿を眺めながら食べるその時間が、なんだかとても贅沢に感じられる。
食事の後、トロは私が食器を洗い終わるまでキッチンの入り口で待っている。そして私がソファに座ると、膝の上に飛び乗ってくる。この一連の流れが、私たちの儀式みたいになっている。
猫と暮らすって、こういうことなのかもしれない。劇的に何かが変わるわけじゃない。でも日常の小さな瞬間に、誰かの存在を感じられる。その「誰か」が言葉を話さなくても、一緒に食卓を囲んでいる感覚がある。
最近、週末の昼下がりにトロと並んで窓際に座りながら思う。一人暮らしは孤独だと思っていたけれど、本当に孤独だったのは、誰とも時間を共有していなかったからかもしれない。食事という毎日必ず訪れる時間を、トロと共有するようになってから、部屋の空気が少し変わった気がする。温度とか湿度じゃなくて、もっと曖昧な何か…うまく言えないけど。

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