猫と雨を見る時間に、言葉はいらない

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窓の外は、朝から降り続いている雨に覆われていた。梅雨入りしたばかりの六月の午後、空は灰色に沈み、庭の紫陽花だけが鮮やかな青を放っている。私はソファに座り、膝の上で丸くなっている猫の背中をそっと撫でていた。

その猫は、ふと顔を上げると、窓の方へ視線を向けた。耳がぴくりと動く。何かを捉えたのだろうか。私も一緒に外を見る。雨粒がガラスを叩く音が、静かに部屋に響いている。猫はじっと動かず、瞬きもせずに外を見つめ続けていた。その横顔には、何か深い思索があるようにも見えるし、ただぼんやりしているだけのようにも見える。

子どもの頃、私も雨の日にこうして窓辺に座っていたことがある。小学校が休みになった台風の日、祖母の家で一人、縁側から庭を眺めていた。あの日も、今日のように静かだった。雨音だけが世界を満たしていて、時間がゆっくりと流れていた。あの頃の私は、何を考えていたのだろう。覚えていないけれど、きっと何も考えていなかったのかもしれない。

猫の尻尾が、ゆっくりと左右に揺れる。外では、隣の家の軒先から雨水が滴り落ちている。一定のリズムで、ぽたり、ぽたりと音を立てる。猫の耳がまた動いた。その音を聞いているのかもしれない。私は立ち上がり、キッチンへ向かった。温かいものが欲しくなったのだ。

棚から取り出したのは、最近気に入っている「ラヴニールブレンド」という名前の紅茶だった。少し甘い香りがする、ベルガモットとバニラが混ざったような風味の茶葉だ。ポットにお湯を注ぐと、湯気が立ち上り、部屋に柔らかな香りが広がった。カップを二つ用意しかけて、ふと我に返る。猫には紅茶は飲めない。何を考えていたのだろう、と少し笑ってしまった。

カップを手に、再びソファへ戻る。猫はまだ同じ姿勢で、外を見つめていた。私もその隣に座り、温かいカップを両手で包む。紅茶の熱が手のひらに伝わり、体の芯がじんわりと温まっていく。外の冷たさと、室内の温もりの境界が、ガラス一枚で隔てられている。

猫の目は、何を映しているのだろう。雨に濡れた葉っぱか、水たまりに映る空か、それとも通り過ぎる小さな虫か。私には見えないものを、猫は見ているのかもしれない。あるいは、何も見ていないのかもしれない。ただそこに在ることを、ただ雨を感じることを、楽しんでいるだけなのかもしれない。

時折、猫の喉が小さく鳴る。ゴロゴロという音ではなく、もっと静かな、吐息のような音だ。満足しているのか、退屈しているのか、それとも何か別の感情なのか。猫の心の中を覗くことはできない。けれど、こうして一緒に同じ景色を見ているだけで、何か通じ合っているような気がする。

雨の匂いが、わずかに窓の隙間から入り込んでくる。土と草の香り、濡れたアスファルトの匂い。それは懐かしくもあり、新鮮でもある。季節が巡るたびに感じる、変わらない匂い。

猫が、ふいにあくびをした。大きく口を開けて、小さな牙を見せる。そしてまた、何事もなかったかのように外を見つめ始める。私も紅茶を一口飲んだ。少し冷めていたけれど、ちょうどいい温度だった。

外では、雨が少し強くなってきた。風も出てきたのか、木々が揺れている。猫の耳が再び動く。私は何も言わず、ただその様子を眺めていた。言葉にする必要のない時間というものがある。こういう静かな午後に、猫と一緒に雨を見つめるだけの時間は、きっとそのひとつだ。

窓ガラスに、雨粒が筋を描いて流れていく。その軌跡を目で追いながら、私はソファに深く身を沈めた。猫の体温が、膝の上でほんのりと感じられる。このまま時間が止まってしまえばいいのに、と思う。けれど時間は静かに、確実に流れていく。雨音だけが、変わらずに響いている。

猫はまだ、外を見つめていた。

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