猫と昼下がりのスープ、それだけで完結する時間

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猫が膝の上で寝始めると、もう何もできなくなる。

スープを作ろうと思っていたのに、キッチンまでの距離がやけに遠く感じる午後2時。窓から差し込む光が床を這うように移動していって、その先端でうちの猫が丸まっている。このまま動かなければ、夕飯の支度は完全にアウトだ。でも膝の上には3キロ半の重み。これが猫と暮らすってことなんだろうけど、正直トイレにも行きたい…だけど。

去年の秋、友人が「猫飼うと自由がなくなるよ」って言ってたのを思い出す。当時は「大げさだな」と笑ってたけど、今ならわかる。自由はなくなったわけじゃなくて、優先順位が勝手に書き換えられていくんだ。スマホは手の届かないテーブルの上。読みかけの本も向こう側。冷蔵庫の中には昨日買ったばかりの人参とセロリがあって、本当はあれでポトフを作るつもりだった。鍋にバターを溶かして、玉ねぎを炒めて、白ワインをちょっと入れる。そういう手順を頭の中で組み立てながら、でも体は一ミリも動かせない。猫の寝息が規則正しくて、その振動が太ももに伝わってくる。

前に住んでた部屋はもっと狭くて、キッチンとリビングの境目なんてなかった。あの頃は一人で適当にパスタ茹でて、立ったまま食べることも多かった。ある日スーパーで見かけた「クイックパスタメーカー」っていう謎の調理器具を買って、一回使って棚の奥に追いやった記憶がある。あれ、今どこにあるんだろう。

猫を迎えてから、食事の時間が変わった気がする。いや、時間そのものじゃなくて、食事をする「空間」が変わったのかもしれない。以前は何か作業しながら食べることが多くて、パソコンの前だったりテレビの前だったり。でも猫がいると、食べてる最中に「ちょうだい」って顔で見上げてくるから、自然と手が止まる。人参の切れ端を床に落としたら、すごい勢いで駆け寄ってきて匂いを嗅いで、そのあと「これ違う」って顔でどっか行く。そういうやりとりが挟まると、10分で終わるはずの食事が30分になる。

今日みたいに膝の上で寝られてしまうと、もう完全に時間の感覚がぼやける。さっきまで確かに2時だったのに、気づいたら窓の外の光が少しオレンジがかってきている。スマホが鳴った気がするけど、確認できない。たぶん宅配便の不在通知だ。猫の耳がぴくっと動いて、でもまた元の位置に戻る。起きる気配はない。

こういう時間を「まったり」って言うのかどうかわからないけど、少なくとも焦りはない。焦りがないわけじゃないか。焦りはあるんだけど、それを上回る「まあいいか」がある。夕飯が多少遅くなっても死なないし、スープじゃなくて冷凍うどんでもいい。猫が起きたらキッチンに立てばいいし、起きなかったらそれはそれで。

猫と暮らし始める前、私はもっと計画的だったと思う。週末に一週間分の献立を考えて、買い物リストを作って、冷蔵庫の中を整理して。それが几帳面なんじゃなくて、たぶん何かに追われてたんだ。時間を無駄にしちゃいけないっていう、誰が決めたのかわからないルールに。

膝の上の猫が寝返りを打つ。爪が太ももに軽く食い込んで、ちょっと痛い。でも起こさないように、息を潜める。窓の外から子どもの声が聞こえて、それから自転車のベルの音。誰かが夕飯の支度を始めたのか、どこかの家から醤油の焦げる匂いがする。

結局スープは作らなかった。猫が起きたのは4時過ぎで、そこから慌ててキッチンに立ったけど、もう凝ったものを作る気力はなくて。冷蔵庫の野菜を適当に切って味噌汁にした。それでも十分だった。猫は私の足元をうろうろして、たまに「遅い」って文句を言うみたいに鳴いて。

猫と私の午後は、いつもこんな感じで過ぎていく。

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