猫との暮らしが教えてくれた、予想外の日常という贈り物

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朝の静寂を破る音。それは獲物を見つけた猛獣のような足音だった。私は布団の中で薄目を開け、天井を見つめながら深いため息をついた。また始まった。賑やかな猫との生活は、想像していた穏やかな癒しの時間とはまるで違っていた。

リビングに向かうと、案の定、我が家の暴君が全速力でソファからキャットタワーへ、そしてカーテンレールへと駆け上がっていく。走り回る猫の姿は、まるで見えない敵と戦っているかのようだ。昨夜整理したばかりのクッションは床に散乱し、テーブルの上に置いていたペンは行方不明。呆れる私の視線など意に介さず、彼女は今日も自分の王国を全力で駆け回っている。

「ねえ、少しは落ち着いてくれない?」そう問いかけても、返ってくるのは「ニャー」という無邪気な返事だけ。その瞳はキラキラと輝いていて、まるで「何か問題でも?」と言っているようだ。私はソファに腰を下ろし、呆然と猫を見つめる。この小さな生命体が、私の計画的で整然とした生活をここまで変えてしまうとは思ってもみなかった。

猫を飼う前、私は友人たちから「猫は癒しだよ」「膝の上で丸くなって寝る姿がたまらない」と聞かされていた。SNSで見る猫たちは、みんな優雅で上品で、飼い主の膝の上で幸せそうに眠っている。私もそんな穏やかな時間を夢見ていた。しかし現実は、朝五時の運動会、夜中の大運動会、そして理由不明の突然のダッシュの連続だった。

それでも、コーヒーを淹れてソファに座ると、さっきまで走り回っていた猫が突然私の隣にやってきて、何事もなかったかのように毛づくろいを始める。その姿を見ていると、不思議と怒りや呆れは消えていく。小さな舌で丁寧に前足を舐め、耳の後ろを器用に掻く仕草。そのすべてが愛おしく感じられてしまうのだ。

賑やかな猫との生活は、私に多くのことを教えてくれた。完璧を求めすぎていた自分。計画通りに物事が進まないとイライラしていた自分。でも、この小さな生き物は、そんな私の価値観を根底から揺さぶってくれた。散らかった部屋も、予定通りに進まない朝も、今では日常の一部として受け入れられるようになった。

窓際に移動した猫は、外を眺めながら尻尾をゆっくりと揺らしている。その横顔は真剣そのもので、まるで哲学者のようだ。さっきまでの暴れん坊ぶりはどこへやら、今は静かで穏やかな時間が流れている。この極端な変化こそが、猫という生き物の魅力なのかもしれない。

夕方になると、また新たな運動会が始まる。走り回る猫を追いかけながら、私は思わず笑ってしまう。いつの間にか、この賑やかさが私の生活に欠かせないものになっていた。静かすぎる部屋は、今では逆に落ち着かない。猫の足音、鳴き声、そして時折聞こえる物が落ちる音。それらすべてが、私の家を「家」から「ホーム」に変えてくれた。

夜、ようやく落ち着いた猫が私の膝の上に乗ってくる。温かくて柔らかいその感触。ゴロゴロと喉を鳴らす音。これが、SNSで見た「癒しの時間」なのだと気づく。でも、この穏やかな時間があるのは、日中の賑やかさがあるからこそ。走り回る猫に呆れる私がいるからこそ、この静かな夜の時間がより特別に感じられるのだ。

呆然と猫を見つめる私。その視線の先にいるのは、もう暴君でも困った存在でもない。ただ、自分らしく生きている一つの命。そして、その命が私に教えてくれたのは、完璧でなくてもいい、計画通りでなくてもいい、ありのままの日常を楽しむことの大切さだった。

猫との暮らしは予想外の連続だ。でも、その予想外こそが人生を豊かにしてくれる。賑やかな猫に呆れながらも、私は今日も彼女との時間を心から愛している。そして明日も、きっと朝から運動会が始まるのだろう。それでいい。それがいい。私たちの、かけがえのない日常なのだから。

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