猫という名の小さな台風が、私の平穏を奪った日

Uncategorized

ALT

朝七時。いつもの静かな目覚めを期待していた私の耳に、ドタドタという激しい足音が飛び込んできた。まだ夢の中にいたいと願う私の意識を、容赦なく現実へと引き戻す音。それは、三ヶ月前に我が家にやってきた茶トラ猫、名前は「マル」による朝の運動会の始まりを告げる合図だった。

目を開けると、視界の端を猛スピードで駆け抜ける茶色い影。リビングからキッチン、そして廊下を経由して再びリビングへ。マルは誰に追われるわけでもなく、ただひたすらに走り続けている。その姿はまるで、見えない敵と戦う小さな戦士のようでもあり、あるいは自分の尻尾を追いかける永遠のランナーのようでもあった。

私はベッドから這い出し、リビングのソファに腰を下ろした。そして、ただ呆然とマルを見つめる。これが毎朝の日課になってしまった。コーヒーを淹れる前に、まずは走り回る猫の観察。これが私の新しい朝のルーティンである。

「マル、少しは落ち着いたらどうだい」

私の言葉など、マルの耳には届いていない。いや、届いているのかもしれないが、完全に無視されている。彼の世界には今、走ることしか存在しないのだ。カーテンによじ登り、本棚の上から飛び降り、観葉植物の鉢を危うく倒しそうになりながら、マルの運動会は続く。

賑やかな猫という表現では、もはや足りない。マルは賑やかさの化身であり、静寂の天敵であり、平穏という概念を根底から覆す存在だった。友人たちに「猫を飼うと癒されるよ」と勧められて決断した私の選択は、果たして正しかったのだろうか。

ふと、マルが動きを止めた。やっと疲れたのかと安堵した瞬間、彼は私をじっと見つめた。その瞳には、明らかな意図が宿っている。次の瞬間、マルは私に向かって全速力で走ってきた。そして、私の膝に飛び乗ると、何事もなかったかのように丸くなって眠り始めた。

呆れる私。ただただ呆れる。さっきまでの狂乱は何だったのか。あの膨大なエネルギーはどこへ消えたのか。マルの寝息が聞こえ始める。規則正しい、穏やかな呼吸。この寝顔を見ていると、先ほどまでの騒動が嘘のように思えてくる。

私はそっとマルの頭を撫でた。柔らかい毛並み。温かい体温。小さく震える耳。確かに、これは癒しかもしれない。しかし、この癒しを得るために支払う代償は、決して小さくない。破壊された観葉植物、傷だらけの家具、そして私の睡眠時間。

それでも、不思議と手放したいとは思わない。マルのいない朝を想像すると、それはそれで寂しい気がする。走り回る音も、賑やかな鳴き声も、今では私の生活の一部になっているのだ。

膝の上で眠るマルを見つめながら、私は思う。猫を飼うということは、自分の生活に小さな混沌を招き入れることなのだと。計画通りにいかない朝、予測不能な行動、理解不能な習性。それら全てを受け入れることが、猫と暮らすということなのだろう。

マルが小さく寝返りを打った。その拍子に、彼の肉球が私の手に触れる。ぷにぷにとした感触。この瞬間だけは、全ての苦労が報われる気がした。

窓の外では、朝日が昇り始めている。新しい一日の始まり。そして、おそらく数時間後には、マルの第二回運動会が開催されるだろう。私はため息をつきながらも、どこか楽しみにしている自分がいることに気づく。

呆然と猫を見つめる私。呆れながらも、愛おしく思う私。これが、猫と暮らすということなのだ。予測不可能で、時に理不尽で、しかし何物にも代えがたい日々。マルという名の小さな台風は、今日も私の平穏な生活を、最高に賑やかに彩ってくれるのだろう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました