私の読書時間は、いつも猫との攻防戦になります。本を開いた瞬間から、まるで合図でもあったかのように、愛猫のモモがやってくるのです。
今日も私は、長年の夢だった古典文学全集を読もうと、お気に入りのソファに腰を下ろしました。温かい紅茶を用意し、読書灯の明かりを調整して、これぞ理想的な読書環境!と満足げに本を開きます。ところが、その瞬間です。どこからともなく現れたモモが、優雅な足取りで近づいてきました。
最初は何も起こりません。ただ私の横でくつろいでいるだけです。でも、それは嵐の前の静けさ。数ページ読み進めたところで、モモの視線を感じます。チラッと見ると、キラキラした瞳で私を見つめています。「今は駄目よ」と言い聞かせるように本に目を戻すと、モモは作戦を変更。私の膝に乗ろうとし始めます。
「ちょっと、モモ!」と制止しようとしても無駄です。すでにモモは、私の膝と本の間にある狭いスペースを確保しようと、しなやかな体を器用に滑り込ませています。そうして、ついに本と私の間に割って入ることに成功。満足げな表情で私を見上げてきました。
諦めて撫でてあげると、グルグルと喉を鳴らして喜びます。その姿があまりにも愛らしく、つい読書の手を止めて「もう、しょうがないなぁ」と笑ってしまいます。しかし、撫でるのを止めると今度は本に前足をかけてきました。ページをめくることすら許してくれません。
読書に戻ろうとすると、今度は私の手に頭をスリスリと擦り付けてきます。本を持つ手が動くたびに、まるでそれを追いかけるように、モモも動きます。時には爪を立てて本を押さえつけることもあります。「ここを読もうとしているのに!」と思わず声を上げてしまいますが、モモにとっては私の注目を集めることの方が何より重要なようです。
そうこうしているうちに、モモは私の腕の上で寝返りを打ち始めました。背中を見せて甘えるその姿に、もう読書どころではありません。お腹を撫でてほしいアピールが始まり、私はついその誘いに乗ってしまいます。本はいつの間にか脇に置かれ、モモとの触れ合いタイムが始まっているのです。
この状況に慣れてきた私は、最近では対策を考え始めました。例えば、モモのお気に入りのおもちゃを近くに置いておいたり、読書の前に十分に遊んで疲れさせておいたり。でも、そんな策略など見透かしているかのように、モモは必ず私の読書時間に現れます。
特に困るのは、物語の山場で邪魔されるとき。ハラハラドキドキのシーンで、突然モモが本の上に乗っかってきたときは、思わずため息が出てしまいます。でも、そんな時でも怒る気にはなれません。なぜって、モモの甘えん坊な表情があまりにも愛らしいからです。
時には、本の上に寝転がって、まるで「この本より私の方が大事でしょう?」と言わんばかりの態度を取ります。確かに、モモの言う通りかもしれません。読書も大切ですが、このかわいい家族との時間も同じくらい、いや、それ以上に私にとって大切な時間なのです。
最近では、モモの邪魔が入ることを前提に読書時間を設定するようになりました。少し早めに始めて、途中で中断されても大丈夫なように余裕を持たせています。また、モモが邪魔をしてくる時間帯を把握し、その時間を避けて読書するようにもしています。
それでも完全には避けられません。むしろ、今では読書時間にモモが来ないと、少し寂しく感じるほどです。本の内容に集中できないのは確かですが、モモとの温かいふれあいは、それ以上の価値があります。
時には、モモを抱きながら本を読むという妥協案も試してみました。しかし、これも長続きしません。モモはすぐに体勢を変えたがり、結局は読書どころではなくなってしまいます。でも、そんな攻防戦も、今では私の生活の一部として愛おしく感じられます。
本好きの私にとって、読書の邪魔をされることは確かに困ることです。でも、モモの存在があってこそ、私の日常は色鮮やかになっています。静かに本を読むことができない代わりに、温もりと愛情に満ちた時間を得られているのです。
考えてみれば、モモは私に大切なことを教えてくれているのかもしれません。本の中の物語も素晴らしいけれど、目の前で繰り広げられる愛猫との物語も、同じように素晴らしいということを。
今日も私は本を手に取り、いつものようにソファに座ります。そして、いつものように現れるモモを待ちます。この予定調和な邪魔も、もう私の読書時間には欠かせない要素となっているのです。読書と猫との共存。それは時に困難を伴いますが、それ以上に幸せな時間なのです。
結局のところ、私の読書時間は、モモとの大切なコミュニケーションの時間でもあるのです。そして、それは私にとって何物にも代えがたい、かけがえのない日常の一コマとなっています。
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